流れ落葉の夢現(2)

「終わんねえ。帰りてぇな……」

 昼過ぎの蕪城の自席は見事に未処理の書類の束で埋もれていた。残業決定である。もっとも、蕪城にとって明るいうちに帰るなど夜勤明け以外には都市伝説としか思えなかった。

 配属前のイメージとは違い、警察の仕事は事務仕事がかなりの部分を占めていた。せっかくの清々しい梅雨の晴れ間を窓から見ることもできずに、屋内に引きこもるのはすっきりしない疲れがたまる。
 少し進めては彼方此方に気が飛んでしまい、昼から手元の状況の変化があまり見られなかった。

 こういうときは割り切りが必要である。

 三十分前にも一本を灰に変えた気がするが、再び煙を全身に浴びることに決め、蕪城は席を立った。ポケットの中の小銭をジャラジャラと鳴らしながらついた喫煙所入り口近くの自販機で、微糖缶コーヒーのボタンを押す。

「お疲れ、なおちゃん」
「俺、もう三十過ぎてますし、そろそろ『なおちゃん』はやめません? 遙子さん」

 振り返ると、蕪城の同僚の松本遙子(まつもとはるこ)が立っていた。交通課の警官で蕪城の先輩だった。

 蕪城よりも一つ年上というからもう彼女も三十も半ばに近いだろうが、セミロングの髪の中の、悪戯っ子のような丸くきらきらした瞳が可愛らしい。はっとするような美人ではないが、彼女の気さくな振る舞いも含め、密かに人気があることを蕪城は耳にしていた。

「なおちゃん、いまからさぼり〜?」
「脳の栄養補給っすね」
「肺に毒ガスじゃなくて?」
「俺にとっては栄養。ーーいっときますけど、俺が禁煙すんのは煙草が千円超えたときですからね」
 昨今随分と喫煙者に厳しい世の中になったが、微糖のコーヒーと煙草の組合せの至福を、健康などといった不確定要素に邪魔をされたくない。
 遙子は禁煙を本気で訴える気はなかったようで、気にせずに話を続けた。

「最近忙しいの?」
「んーまあ……今週デフォルト睡眠三時間」
 遙子に目の下の隈と、剃り残した髭を見られたような気がして、蕪城は、隠すように顔のそばに手を寄せた。

「そう……なおちゃんいつも忙しいもんね。あまり無理をしないでね」
「ありがとうございます」
 軽く会釈をして、喫煙所へ足を向けようとしたが、遙子は立ち去らなかった。
 先輩をーそれも女性をー無視して立ち去ることは蕪城の信条に反していた。

「もしかしてなんか用ありました?」

 遙子は少し迷う素振りをみせたあと、思い切った様子で口を開いた。
「ううん、そうじゃないの。ねえ、もしかして忙しいのって例の連続殺人の捜査?」
「ん? ああ、まあ……」
「そっか。いま忙しいっていったらそれよね。ニュースにもなっちゃってるし、やっぱり気になっちゃって。うーん。なんか、野次馬みたいね」


  • 最終更新:2017-09-18 14:06:32

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